軽石サイドの陰謀

祖母の三回忌が鹿児島であったため、夏休みを利用して妻と娘を連れて鹿児島に行った。その際に中継地として訪れたのが与論島。

 

 

沖縄本島でもまずお目にかかれないほど透明な海と白い砂浜にいたく感動したのだが、それでもやっぱり目につく砂浜の黒い斑点。一時期話題になった軽石のようだ。

 

与論島で観光業を営む人に話を聞くと、「ニュースでの報道はパタリと止んでしまったが、軽石の漁業・観光業への被害は未だ甚大で、引き続き大変困っている。」とのことだった。

 

 

鹿児島での三回忌を終え、帰宅後、食卓を囲みながら妻と旅の思い出話をしていると、ふと軽石の話がしたくなった。

 

「与論島もそうだけど、調べてみると日本津々浦々、沿岸部は未だ軽石の被害がヒドイらしいね。」

 

ーそんなこともあったね。

 

「あったんじゃなくて、現にあるんだよ。でもメディアは撃ち方やめと言わんばかりにパッタリと報道をやめた。なんでだと思う。」

 

ーなんでだろうね。

 

「軽石のことを報道しなくなってからこの間、メディアは何を報じたか。」

 

―コロナ?ガーシー?誤送金?安倍さん射殺?

 

「そう、その全部とは言わないまでも、一つ、あるいはそのうち複数は世間の注目を軽石から反らすための、軽石サイドの陰謀だとしたら…」

 

―・・・・・・

 

「報道統制を求める軽石サイドの政治的圧力と、軽石シンジゲートによって起こされた一連の騒動によって、マスメディアは軽石問題を報じなくなり、参院選の争点からも軽石は外れてしまった。」

 

ー・・・・・・・

 

「マスメディアが報道しない以上、軽石問題に国民の厳しい目が再び向かうことなく、近い将来、日本は軽石に占拠されてしまうかもしれない。」

 

―占拠って

 

「諸外国に比べて、日本の国土面積当たりの海岸線は非常に長いということを忘れてはいけない。軽石サイドにとっては、日本はとても好都合な国なんだよ。」

 

―そんな話より、明日歯医者の予定が入ったんだけどさ、

 

「本来であれば、日ごろから『日本を取り戻す』とか言ってる保守政治家が本腰を据えて対処すべき問題なんだけど、見たでしょ?あの軽石の数。あれだけいたら良い票田になるからさ。」

 

―ねえ、聞いてる?

 

「あ、はい、すみません。」

 

10分くらいは続けたかった軽石漫談は、5分も経たずに打ち切られてしまった。

 

昔の妻なら、たとえどんなにぼくの話が上滑りしてても「所管官庁の環境省が電報の山口さんだもんね、軽石大会とかにも祝電を出してそうだし、動かないのも納得。」ぐらい乗ってくれる優しさがあったのに、今はぼくの馬鹿話はほぼ無視されている。

 

 

故立川談志は、擬人化の範囲を物体から事象まで飛躍させた『イリュージョン』という手法を開発し、落語界に一大旋風を巻き起こした。天才松本人志は、それを日常会話のレベルにまで移植させるのに成功し、会話の地位を『生活(現実)のオルタナティブ』まで昇格させた。

 

形而上下の優劣を論じられるほど知識もないので、これ以上深くは考えないようにしているが、生活における情報交換以上の役割が会話にはあると思う。会話は生活の婢(はしため)ではない。

 

『長い対話としての結婚』という言葉もあるように、馬鹿話でもないと結婚はもたない。