死体叩き

4月に初めての異動を経験した。

3年間過ごした部署から、よくわからないような現場部署への異動。2〜5月は毎月80時間くらい残業するらしい。21日時点で今月すでに80時間。死ぬ。

そんな部署だから異動先としての人気は低く、また体力が重視されることもありとても若手が多い。
今年は12人の課に4人も新卒が入ってきた。これで回るのか?

新卒は大変だ。部署の業務を覚えることはもちろん、サラリーマンとして、公務員としての慣習も覚えなければならない。
電話一つにしたってそう。


――電話の際は必ず枕詞として
「いつもお世話になってます。○○の坪内と申しますが〜」
を付けましょう。
「いつもお世話になってます」
についてはあまり考えてはいけません。
面識ない人が相手でも、「@初見です」の代わりにこれを使いましょう。



違和感ある慣用句をいくつか覚えなければならない。

上司の呼び方だってそうだ。



ーー上の人を呼ぶ際は名前+役職で呼ぶようにしましょう。
○○さんは係長だから"○○係長"、△△さんは部長だから"△△部長"といった感じで。
でも、係長級未満の役職の人を呼ぶ際はさん付けだけで結構です。
"□□主任"なんて言うのは「まだ主任なの?」というニュアンスを含んだ失礼な表現に当たる……らしい。
変な話だけど、こう敬称が公式化されてると楽だよね。



これらは入庁時ある先輩に教えてもらったことだ。
彼とはラインが違うこともあり、あまり仕事について教えてもらうことはなかったが、こうした変な慣習についてよく教えてもらった。


「おれは〜ってのは〜で変だと思うけど、まあこんなことになってるよ」


彼の教えてくれた内容は、役所に染まってしまった今思えば、「取り立ててそこ切り取って教えること?」というものばかりだったが、当時はとても重宝した。
空気を読む、明文化されてない慣習を肌で学ぶのが下手なぼくに、彼はそれらを丁寧に教えてくれた。


先輩は口数が多い方ではなかったが、言うことがすべて腑に落ちた。
感性が近かったのだと思う。彼の言うことでわからないことは一つもなかった。

先輩はぼくより2年次上で、と言っても22歳でのストレート入庁だから二浪したぼくと同い年で、高齢者ばかりしかいなかった前の部署での唯一の同年代だった。

好きな映画、好きな音楽も驚くほど似ていて、今やビックアーティストと化した大森靖子のことを教えてもらったのも先輩からだった。

双子の兄がいたらこんな感じだったのかもしれない。


残念なことに先輩はお酒が飲めず、彼と飲み会に行ったのは歓送迎会などの公式行事くらいしかなかった。

お酒を飲んで話せれば、人生観とか、性の話とか、会社のグチとか、もっと深い話ができたかもしれない。それらに対する考えもきっとぼくと近いはずだ、という確信めいた思いがあった。


新卒の後輩に接するとき、決まって彼のことを思い出す。

「当たり前なんて言葉は捨てる。教わる側の感性を否定しないように意識意識」


それと、後輩に教える際は決まって「真面目すぎないように」と言うようにしている。
「少なくともここではメモは取らなくていいよ」と。



その先輩、松永さんは2年前の冬に仕事を休みがちになり、去年の8月に長期の無断欠勤の末に退職してしまった。

松永さんはとても仕事ができる人だったので、新卒のぼくと一緒の職場で働いたのは2年間だけだった。
その後、彼は激務と噂の出世部署に引き抜かた。
そこで壊れてしまった。

メンタルヘルスを病んでるというような話は噂で聞いてたので、退職した話を聞いたときは、「そりゃそうだな」と思った。
「自殺しなくてよかった」とも思った。

松永さん、彼はぼくに似ている。
ぼくが同じような状況にいたら、きっとぼくもそうなってたかもしれない。


あの人が何を考えているのかとか、今どうしているのかとか、そういうことにもう興味はない。

彼が負けてしまった以上は、彼は弱さの象徴でしかない。



「真面目は必ずしもいいことではないよ。そうそう、ぼくの先輩に真面目で仕事ができる人がいたんだけどさ〜」





ーー同情はダメだ。弱者は踏み台にでもしないと、きみ引き込まれてしまうよ。




朝の電車が人身事故で遅延したある日、同じ職場の女性職員が「死ぬなら迷惑をかけずに死ね」と自殺者を罵ったことがあった。

ぼくはそういのがほんと嫌いで、先輩ならわかってくれると思い彼にその女性職員の陰口を言った。

そのとき、先輩は確かそんなこと言ってぼくを諭したんだ。