きみの陰湿を見せて

渋谷駅前のスクランブル交差点んにしばらく佇んでいるだけで、私たちは定められた秩序のなかにいると自覚することができる。
信号機が切り替わると、いっせいに人が波となって動き出す。電車や車が発する騒音が聞こえない無音の世界なら、整列行進は神に操られているかのようにすら見える。

もし、そこに、異物が、隕石や爆弾があったら、いきなり爆発したら、きっと閉塞的なこの均衡はいっきに崩れる。それは1 + 1 が必ずしも2にならない、不安定な、可能性に溢れた未来への鍵になるように私には思えてならなかった。

乱立するタワーマンションだったり、交通渋滞だったり、都心の雑踏だったり、そうした酸欠気味の風景を見るたび、幼いころから私は爆弾が破裂する妄想をした。



マイクの感度が低いせいかその音圧は妙に間抜けていた。

 

 ヨーロッパのある国の広場で爆発事件。繰り返し流れる爆発時の映像。死傷者20人超。テレビではリポーターが慌ただしく現場の様子を中継している。さっきから耳元のイヤフォンを触りすぎだ。

移動中の5分でもあれば軽くメイクはできるだろうに、そのおさげ髪のキャスターの、主張が強いすっぴん顔が、事件の有事性をことさら演出していた。

 

 現地時間で日曜の15時25分。家族連れ、カップル連れで賑わうのどかな公園でその爆発は起こった。

 

事件から2時間後、日も暮れた現場の空気を、警察車両から照射される青色のパトランプがけばけばしく彩っている。何重にも張られた規制線、それに張り付くようにして中継している世界各国のマスコミたち。

 

 
 映像が切り替わり、画面には現場に居合わせた一般人が撮った、爆発事件直後の実況動画が流れる。

 

飛び交う悲鳴。泣き叫び、逃げ惑う人々。中には頭から血を流した女性、煙が上がる奥の方には横たわりピクリとも動かない人影が見えた。

 

映像を一時停止し、拡大する。胡座をかいたまま、うつ伏せに倒れる褐色の肌。変な姿勢だと思った。よく見てみると、それは下半身が爆風でふっとばされた男性の、もう半分の後ろ姿だった。

 

その後ろ、カメラのあちら側からこちら側に向けて手つなぎ走ってくる親子。子供の白のトレーナーは黒く煤けており、血の赤も見える。右手で子の手を握る母親の左手には、しっかりとハート型のバルーンの紐が握られていた。こういうときは、むしろ離したり出来ないものなのだろうか。

 

暮れはじめた、薄布を被ったような青の空に浮かぶ風船ひとふたつ。破裂した、天然ゴムの死骸たちが芝生の緑のところどころに見えた。

 

 ちゃぶ台の上、水滴が滴り氷細工のように光を集めていたハイボール缶を手に取る。おつまみに枝豆も用意していたが、手を動かすのはもっぱらハイボールを飲む時だけだった。

 

地上波初放送のホラー映画を観ながら飲むつもりだったが、速報ニュースで入ってきた映像が目を捕らえて離さない。本物の死体が映る。体の一部が破損した白人。木にかかった洋服のような布切れが爆風の大きさを物語っている。

 

生活とは断絶した映像を前に、雲の上を歩くような酔い心地だった。ハイボールが切れてしまったので、何年か前に貰ったままのウイスキーを開けた。

 

血だらけの赤ちゃんを抱いて泣き叫ぶ無修正の半裸女性。生の現実を流すニュースの前では、いつもの規制が入る余地もない。


 
「明日も明後日も続いてたであろう日常を、一瞬にして破壊する災禍」



いつからだろう、そういうものに安らぎを覚えるようになったのは。

 

 犯人は今のところ不明。そもそも事件か事故かも不明。爆発からまだ3時間も経っていない現段階では、それで当然だろう。

でも、みんな思っている。みんな期待している。

 

リポーターは被害規模を繰り返し伝えるだけで、だれもが気になっているであろう犯人のことについては、未だ不明としか言及していない。

 

爆発から4時間後、「先月◯◯市で起こった爆発テロとの関連は未だ不明。」とリポーターが発言。それからすぐ、その国の首相が、先月起こった◯◯市の爆発テロ同様、過激派イスラムグループの犯行の可能性が高いと発表。

 

捜査当局による十分な調査も経ず、また犯行グループからの犯行声明も出てない状況での発表は異例、とコメンテーター。


 誰もがきっと「やっぱりか」と思い安心したに違いない。無差別にたくさんの人を殺す、そういうことはここ最近ずっと彼らの専売特許として扱われてきた。犯人は彼らじゃなきゃ困るのだ。

 

「犯人は単独犯、特定の過激派団体には所属せず。」

 
 
「夏休みの自由工作気分で爆弾を作り、ふらっと立ち寄った公園での犯行。」

 

それではみんな困るのだ。型にはまらない、独立した狂気。固有名詞が付けれない、おばけのような殺人。誰もがそれを認めたくない。


殺人には足がなければならない。


警察は科学的証拠よりもまず先に動機に基づいたストーリーを作り捜査を始めるし、マスコミは現状確認できる事実そこそこに、コメンテーターに私見を語らせる。


私怨だったり、義憤だったり、経済的利益だったり、宗教的情熱だったり、そういった足を確認して始めて「ああ○○だったか」とみんな安心するのだ。

 


 LINEの着信通知で携帯に目を移すと、液晶右上のデジタル時計はちょうど午前3時を指していた。明日も仕事があることを思い出し、テレビを消し、ちゃぶ台を拭き、枝豆をラップで包み冷蔵庫に入れ、寝る支度を整えた。

 

早朝のヤフーニュースのトップをきっと飾るだろう。



「◯◯市で爆弾テロ イスラム過激派の犯行。」
 


テレビではきっと著名な宗教学者が出てきて言うだろう。

 
 
イスラムは本来平和を愛する宗教だ。彼らの考えとは異なる。」

 
 

ここのところそうしたテロ続きで、英語の重要基本構文みたいに何度も何度もそうした言葉を読んできた。メロディ重視の内容のないJ-POPのサビみたいに何度も何度もそうした言葉を聞いてきた。



電気を消し、掛け布団産のさらに真っ暗な暗闇の中に身を潜り込ませ、スマホの上すいすいと指を動かす。

 
 
「どれだけ正しい知識があっても、こうしたセンセーショナルな事件続きだと間違った偏見を抱いてしまうものだ。
最近よく耳にするヘイトクライムの要因の一つに、そうした偏見がある。本当のイスラムの人たちにとってはとんだ災難だ。事件を起こすことで、ニュースが伝えるところの”過激派イスラムグループ”は市民社会イスラム社会全体、そのふたつを殺している。」

 
 

岡崎のFacebookの投稿。いつも通り、大学入試の小論文みたいな毒にも薬にもならないつまらないことを書く人だ。でも、こういう当たり前のことを当たり前に書けるやつが勉強もできて仕事もできるんだよなあ。

 


「sakigamiさんが放送を開始しました。」

 


 短いバイブレーションとともに液晶画面の上端に通知が出た。


真っ暗な台所から水の滴る音がする。数少ない、近しいリスナーすら眠っている丑三つ時だ。きっと今日もだれもコメントしないだろうなぁ。寂しい放送。


それでも、通知をタッチして放送に飛ぶ。今夜もよしなしごとや拗ねごとを漏らさず聴いて寝たい。

 


 真っ暗な画面。BGMはない。もぞもぞと物を取ったり、テレビを消したり、生活音はかすかに聞こえる。カチカチというクリック音が暫く続いた跡、星々が点々と散らばる明け方の空の静止画が画面いっぱいに映った。どうやら飲んでいるらしい。下戸の癖に。



画面の右端っこに映る来場者カウンターの数字が4、5と増えてきたところから、sakagamiはぽつぽつと今日思ったことを話し始めた。

 

 若く渋みのない声だ。それでいてどこか落ち着かせるところがある。ママに話すときのような気を許した声、そんな声で、物理法則を説明するような強い断定口調で自説を展開していくのが愉快だった。背伸びした子供みたい。


彼のエンジンがかかってきたところで、放送タイトルの本題「〇〇市テロ事件について」に入った。

 

 
「毎度のことながら、卑怯な奴らだ。イスラムに罪を押し付けたことがじゃない。犯罪を自分自身のものにするのを怖気づいたことが、だ。」


よっ、待ってました。とばかりにこちらもスマホを握る手に力が入る。


「誰もが知っている通り、理由は純宗教的なものでないのは明白だ。その国のメインストリームから外れた、移民だったり、その2世3世だったりが、日頃感じている疎外感、特権を享受しているマジョリティに対する妬み、復讐心、そういったエゴの塊が犯行の理由なんだ。大量無差別殺人の原動力なんだ。」

 

 呂律も上手く回っていない舌で、息継ぎも忘れ、熱心に自分の主張が続く。見えなくてもわかる、この夜空の静止画の向こう側には冴えないオタク顔がいる。

 

今日のはいつになく饒舌だ。声は自信と憎悪でザクロのように赤く爛れていた。

 


「そのくせ、罪の意識か自分が可愛くてか、急ごしらえの宗教知識でもって大義名分と死後の安寧を取り付ける。

バカじゃねーの!!!

本当はただの人生を賭けた憂さ晴らしのクセに。自爆テロ、自分の命を賭けているんだろ?だったら犯罪を自分自身のものにしろよ。自分の声でイズムを残せよ。社会に深く傷を与えろよ。
イスラム過激派”なんてくだらない言葉に、自分の犯行を消化させるな。」

 
 

 これだよ、これなんだよな。放送が終わり、録音アプリを停止させたところで感慨に浸った。喉に詰まったものを吐き出すような勢いで、感じてたことを全て言語化してくれている。

 

少々感情が乗っているところが気持ち悪いが、無菌化された岡崎のブログとは違い言葉がすっと胸に落ちる。嬉しくてころころ布団の上を転がった。この人には色がある。歪で、外に出せない同じ色が。

 

「明日、この事件のことみんなはどう話すんだろうな。」
 



 頭の中にそんな疑問がぽつりと浮かんだ。係長は岡崎と同じようなことを言うんだろうな。いっつも社説の受け売りだから。


松本、西口あたりはどうだろう。あの人達はあまりこういうのに興味がないから、あったことすら知りもしないかもな。


 仕事外の時間に職場の人たちのことを考えている自分に気づく。おかしいなぁ。眠たいんだろうな。



ひらひらと薄れる意識の切れ端のなか、眠気の尻尾が行ったり来たりしている。それをするするとたぐり寄せる。その先には短い夢があった。灰色の寂しい街を歩く寂しい男女、一瞬の夢。

 


 その日は、東京で今年初の雪が降るという予報があった。気圧が下がると体の調子が良くなる体質なのに、相変わらずの倦怠感。


朝の報道番組では、昨夜起きた異国の大事件もほどほどに、雪による関東の交通機関への影響が伝えられている。

 

「都内では降雪は観測されず…か。」

 

カーテンを開くと、空には重く厚そうな雲が広がっているが、向こうの方には雲間から冬の太陽の白々と力ない光が見えた。雪はどうも降りそうにない。

 

 7時10分、軽く身支度を整え家を出た。まずまずの好タイムだ。始業が8時30分で通勤はドアドアで1時間はかかるから、決して余裕があるとは言えない時間だけど、それでもいつもに比べるとだいぶ早い。

 

駅のキヨスクで朝食代わりのエナジードリンクを買った。横浜市緑区長津田、これがいまの最寄りで、東京都品川区大井町駅、これが職場の最寄り駅。

 

少し前までは職場のすぐ近くに住んでいたから、朝食もしっかり取れていたが、都落ちして通勤時間は40分増し。朝の時間が逼迫された結果、朝食よりも睡眠を取った。

 

5分間隔でホームに着く各駅停車東神奈川行きを2本見送り、その間にエナジードリンクを飲み干し、3本目のに乗り込む。

 

 車内どこを見てもスーツかトレンチコート。通勤労働者の群れの一員になった。各駅電車は進んだと思ったら停まり、進んだと思ったら停まりを繰り返す。連載中のマンガ原作を追い越さまいと、間延びした演出で調整するアニメみたいだ。

 

停まる度ごとに、堰き止められた人の群れが小さな亀裂に群がるアリのように、ぞろぞろと行き来し入れ替わる。

 

 鴨居駅でひとりのサラリーマンが降りた。いつも見る人だ。顔ではなく、ストライプの入った紺色のスーツや、ピンクや黄色、派手なネクタイがなんとなく印象に残っている人。

 

この車両に乗り込んだときにはすでにいた人だから、長津田以西、おそらく町田や橋本辺りで乗車した人だろう。見た目からして、外資保険の営業マンといったところか。しかしこの辺りに保険会社なんてあるのだろうか。

 

イケイケで派手な服装とは裏腹に、八王子の片田舎に住み、決してエリートとは言えない住宅街支店で働く。

 

考えると少し笑えてきた。今度の土曜、鴨居駅の周辺でも散歩してみよう。

 


 新横浜駅でスーツケースを引いた数名のサラリーマンが降り幾分かスペースが空き、そのスペースにスーツケースを引いたサラリーマンが乗り込み元通り。

 

電車は終始ギュウギュウなまま終点東神奈川に着いた。ここで電車を乗換え、京浜東北線大井町に向かう。

 


 路線も変われば人も変わる。郊外の住宅街と都市部を結ぶ横浜線ではホワイトカラー風情のサラリーマンが多かったが、川崎・蒲田を通る京浜東北線には心なしか日雇い労働者のような人もちらほら見える。

この感じ嫌いではない。先程よりも陰湿であろう笑みを浮かべた。

 


いつの日だったか、帰りの京浜東北線大船行きで、だらしなく足を広げ座った、ワンカップ大関でよろしく出来上がる浮浪者のようなオジサンと乗り合わせたことがあった。

 

彼を爆心地に半径2mが立ち入り禁止エリア。肩と肩がぶつかる程度には満員なのに、だれもそこには近づこうとしない。だれも覚悟はないのか。

学校帰りの若者もいるなか、これでは大人の示しがつかない。

 

トラブルを恐れ保身に走り何が社会人か。高密度で張り巡らされた規制線をかき分け、彼の隣に座った。


「なにか起きるのではないか」という不安よりも、周りの乗客からの視線でドキドキが止まらなかったけど、あのときは爽快感があったな。結局何も起きなかったけど。


 通勤電車のなかに、そうした限界オジサンだったり、奇声を発する障害者だったりが乗ってくるのは好きだ。ダラけた日常の一コマが、一瞬にしてピリつく。安全でつまらない毎日の良いスパイスになってくれる。

 

―しかしお前だけはどうも受け入れられない。

 

私のスカートの上をすりすりと手が撫で回している。痴漢だ。コンパスを引いたような綺麗な円形を何度も描くものだから間違いない。
ここしばらく遭ってなかったから、もう引いたものかと思っていた。誇大妄想が趣味ながらも、これはどうも昔から苦手だった。

 

向こうの存在を認知したくない、早く終わってくれと祈って車窓に目を移す。手が周回軌道を大きく外れて太ももに流れ、筋肉が反射的に引き締まった。つくづくバカな反応だと自分でも思う。女であることがこの時ばかりは本当にイヤになる。


この反射は快感ではなくむしろ悪寒なのだが、痴漢者は得てして独りよがりな考えを抱きがちだ。”痴漢に感じてしまう女性”、という今ではエロ漫画でしか見ないステレオタイプな幻想を、きっとコイツに与えてしまった。


恐怖でみっともないほど下着は濡れている。次にコイツの餌食となる女性、許してくれ。そしてきみは強くあってくれ。

 

頭の中では高速で言い訳が流れる。「私はこの状況を俯瞰して見てますよ」というポーズを取っては、声も上げられない小さなプライドを守ってる。


 

 後方に流れていく流体物は、一軒家からマンション、工場へと形を変えていく。いつもでさえ窮屈な車内なのに、今日は雪の予報もあって傘持ちが多数。とても狭く感じた。