医学部の部誌

昨夜家に帰ると、ポストに妻あての小包が入っていた。月刊マガジンみたいな重みと厚さ。

通販かな?と思い送り主を見ていたら嫌な言葉がそこにはあった。ぼくより30分遅れて帰ってきた妻に小包を渡す。 


「これ○○大学の○○部から届いていたよ」


「あぁ、もうその季節か…」 


一瞬曇る妻の顔。小包の中は、妻が大学時代に所属していた医学部体育会(通称医体)○○部の部誌だった。 


「これ最低1万もするのよね。」 


同封されている振込用紙とその注意書きには、その旨の記載があった。 


"振込用紙に記入する金額は一万円を下限とし、一万円単位での入金が望ましい"


「医者らには余裕だろうけど私たちには痛い出費だよね……ねぇバックれてもいいかな?」 


「一万円くらい払おうよ」


とぼくは言った。ショボい男と結婚したため一万円も払えなくなった、という噂が立っては妻の、いやぼくの立場がない。



「私はイヤ。君のお小遣いから払うならいいよ」


ただでさえ少ないお小遣い。一万円も取られたら毎日のお昼ご飯代すら怪しくなってしまう。

それに、その代物が学生ヒエラルキーの殿上人たる医学部生の青春を綴った部誌ときた。読んだら確実に嫉妬で気が狂うに決まってる。


送られてきたが最後、受取人の寿命を縮めてしまう、まるでこれは恐怖新聞ではないか……




以前医者、医学部生のエリート意識はどこから来ているのか、と妻に聞いたことがあった。

それは稼ぎがいいからか、女たちにチヤホヤされるからか、仕事の社会貢献性からか……。


ぼくの質問に妻が答える。


「一つは学歴から。とても難しい医学部入試を突破したという自負が彼らの中にはあって、それがエリート意識に繋がっている。学部も卒業してからも大学入試の話を偉そうに話す医者なんてザラよ。」 


たしかに、と、むかし付き合いのあった心療内科の先生を思い出した。

彼がぼくに対して持っている関心といえば、ぼくが受けているセンター試験の試験範囲が、自分が受けた共通一次の時代と比べて狭いか広いか、難易度はどうか、くらいのものだった。


妻が続ける。


「それともう一つが医学部の閉鎖的な環境から。多くの大学でもそうだし、私のところもそうだったんだけど、医学部のキャンパスって大学本体とは分離しているところが多いでしょう?だから、同じ大学でも生協や図書館、セミナー施設なんかが本体と医学部キャンパスとで別々にあるなんてのはザラで、学部間の偏差値の違いから医学部生側にも"本体の奴らとは違う"っていう感覚があるのよね。」 


なるほど、そういえば地元琉球大学はそれが顕著だった。医学部付属図書館の方が大学図書館よりも蔵書が豊富で、その権勢を誇っていたっけな。 


「そういう環境が医学部の閉鎖性を作り上げているの。その最もたるものが医学部体育会。"医学部、看護学部生しか入れない大学公式の部活動"って何?って感じでしょ。でもあるの。そういうのが。」 


妻から聞いた話を書き起こしただけでも気分が悪くなってきた。

この悪寒は身分社会に対する義憤の気持ちから!…ではもちろんなく、おそらく醜い嫉妬から。


かつて妻とそのグループと○○大学医学部の学祭を回ったことがあった。その学祭を回っている部外者といえば、ぼくと、近隣女子大の女の子達と、教育ママとその子供くらいだった。

常時濡れネズミみたいなぼくだけど、あれほど惨めだったことはそうない。


妻が話を続ける。


「それに一番大きいのが、医学部生の親は医者ってとこ。なんなら兄弟、おじさん、従姉妹なんかも医者だったりする。幼少期からそんな環境で育つの。母の大きな使命感と潤沢な教育資金のおかげで、"医者として生まれるべくして生まれた"なんて感じが無意識のうちに芽生えてたりしてさ。言うなら選民思想持ち主。平民とは身分が違うって、本気で思ってる人も多いわ。」 


ならほどな……悪名高き医大生のレイプ事件を思い出す。口にしようと思ったが、妻に「性格の悪いやつだ」と思われそうだったのでやめた。


医者になれなかった妻も、ぼく同様に医学部生、医者にはあまりいい感情を持ってない。しかし、外科医として人の命を救っていた医者の父の仕事を間近で見ていたので、心の何処かで医者を尊敬しているのも確かだ。


妻が医者、医学部生に悪態をつくとき、ぼくは同調も否定もせず、毎回苦笑いをしている。



妻が寝たあと、眠れないぼくはひとりその部誌を読んだ。


読んだら嫉妬で気が狂うとか、文字通り本気で思っていたが、ページをペラペラとめくってもそんなことはなく、「みんな青春してるな」とどこか遠い世界の話として読めた。


妻が大学を卒業したのはもう2年も前になるのに、医学部の後輩たちの書くキャンパスライフの思い出のそこかしこに"ゆい先輩"という表記で妻の名前が踊っていた。彼女はみんなに慕われてたらしい。


スキー合宿、仲良し男女4人組。転びそうになりながらも満面の笑みの妻の写真を見る。


キラキラした美しい写真だ。ここにぼくが写ってなくて本当によかった、と思う。
彼女の瑞々しい青春にぼくは似つかわしくない。


一万円も高くはないと思い、振込用紙に数字を記入した。