ふたりは大人になりました

義母が大病を患ってしまい、親族のぼくは週3のお見舞いを余儀なくされてしまいました。

症状は重度の希死観念、病名は鬱病です。

 

いつものことだと高を括る妻に対して、医者は「自尊心の低下が甚だしいので、無視せず気を遣ってあげてください。」とのこと。

 

義母に対しては「鬱病は甘え」と言わんばかりの態度を終始取り続ける妻だけにお見舞いさせるのも不安なので、ぼくも付いていったり、ひとりでお見舞いに行ったりしてる。

 

「"気にかけてくれる親族がいること"を意識させるのが何よりの薬だ」という医師の非科学的で情緒的な処方箋に、最近ではぼく自身も「病気ではなくこれは甘えでは…?」と思えてきたりもしてる。

 

義母と病室でふたりになると、妻の子供時代の話だとか、これから生まれるであろうぼくたちの子ども、彼女の孫の話だとかする。

 

妻とまだ結婚していないとき、付き合っているときには、こんな将来が来るとは予想だにしてなかった。

「可愛いな〜好きだな〜エッチしたいな〜」

の3つの感情の延長線上にある、と思ってた結婚生活がこれだ。

 

子どもができたら、それこそ毎日が戦争みたいな育児生活が始まるだろう。結婚相手となるべき人間とは、互いにトラブルを持ち込み、そのトラブルを分け合いながら生きていく文字通り戦友でなければならない。

そういうツマラナイことを最近よく考える。

 

惚れた腫れただのの男女交際に、その選抜試験の役割が務まるとは到底思えない。

 

今は母には厳しい妻だが、昔はママっ子だったらしく、母とふたりになれば、家父長的で母に厳しかった父なんか捨ててふたりで暮らそう、お金は私が働いて稼ぐから、と口癖のように言っていたらしい。

「あなたと結婚しなければ」

と決まって義母は愚痴っぽくこの話をする。

 

同じような話を妻からもよく聞く。妻は父の母に対する言動が我慢できなかったらしく、小さい頃から「別れたら?」と母にずっと言い続けてきたらしい。

しかし、働いたことがなく、専業主婦という立場を降りるのが怖かった母は父の経済力にすがり、結局別れることはなかった。

 

子どもながらに父に虐げられる母が哀れだと思い、「私が働いて母を支えなきゃ」と思い続けて十数年、今では社会人として荒波に揉まれ、「働きたくなくて専業主婦の地位を捨てられなかった母の単なる甘えでは?」という考えを妻は抱くようになった。

 

「父は昼夜ないとてもハードな仕事をしており、専業主婦を養い一人娘に申し分ない教育を施してくれた。」と今では言動に難があるその父を妻は評価している。

 

そうやって最愛の娘からも蔑ろにされるようになったせいだろうか、義母の鬱病は悪化の一途を辿ってる。

 

こう書くと妻の家族にばかり問題があるように見えてくるが、ぼくの家族にも似たような問題がある。結婚して家族が2倍になったことで、家族関係の問題も2倍になった。

 

異常独身男性の友人や後輩たちと食事に行き、彼ら彼女らの自由な、彩り豊かな、閉塞感のない恋愛模様を聞くたびに、大上段から「羨ましい」と言っては、彼ら彼女らの不評を買っている。