ヤングケアラー

娘と遊びに公園に行った際、そこで見る娘と同じ背丈の幼児たち。一人で滑り台で遊んだり、親相手に2語文を話したりしている。娘よりもだいぶ賢そうだ。

街で同じ背丈の子を見るたびに、娘と比較しては彼女の知能の発達に不安を感じることが増えた。

 

そんな毎日が続いていたので、区役所が行っている保健師相談に娘を連れて行き診てもらった。結果、保健師の先生に言われたことには、

 

「お父さん、おそらく娘さんを一つ上の年の子たちと比較してますよ(知能は並み、むしろ体重が異常)。」

 

知能の心配はなくなったものの、今度は健康(容姿)面で心配事を抱えて帰路についた。家で保健師相談に行ってきたことを妻に話す。とても呆れられた。

 

「いつも、『学歴や容姿は並みでいい』なんて立派なこと語ってなかったっけ?それなのにそんなちょっとしたことで『知能の発達が…』『太りやすい脂肪因子が…』で心配するなんて言動不一致だよ」

 

―子にステータスを求めるのは酷だ。ただいてくれるだけでいい。

 

と日ごろからぼくは言っている。今回の件で自分の器の小ささを再認識した。

 

―お前は絶対医者になれ

 

という強いプレッシャーの下で育てられた妻は、親からのそうした願望の押し付けを心底嫌っており、娘の発育に関してもあまり心配している気配がない。

 

「保育園からの連絡帳ちゃんと見てる?」

 

と妻。

 

「これだけ優しい赤ちゃんに、これ以上望むものなんてないでしょう」

 

そうして出されたのが下の画像。


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1歳になったばかりの赤ちゃんなのに、クラスに泣いている子がいれば駆け寄って心配そうに撫でるようで、赤ちゃんが赤ちゃんの面倒を見てる、と保育士の間で話題になっているらしい。

 

「保育園が大好きで、先生お友だちと毎日楽しく過ごしてる。それだけでもう親としては充分なハズだ。」

 

と妻は続けた。

 

確かにそのとおりだ。社交性があって、愛嬌があって、他者との共同生活を毎日楽しんでる。これらは人生において、きっと知能や容姿よりも重要なことだし、最も親を安心させることができる点だと思う。

 

たとえ子どもが天才でも、たとえ子どもが容姿がとても良くても、クラスのみんなを馬鹿にして和に入らず孤独を貫いたり、同性から嫌われるような性格になってしまったとしたら、親としてはとても悲しい。

 

思えば、保育園に行きたくないと毎日泣き叫び、小学校でハブられ、中学校は仮病で修学旅行を休んだぼくのことを両親はどう思って見てたんだろう、と急に罪悪感が湧いてきた。本当に申し訳ない子どもだったと思う。

 

親であるぼくに社交性がなかったんだから、娘にも社交性は求めない。

不登校になったらなったで、きっと教えてあげられることがたくさんあるはずだ。